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Posted by 京つう運営事務局 at

2009年01月14日

修学院離宮


修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)は京都市左京区の比叡山麓にある宮内庁所管の離宮。

17世紀中頃(1653年(承応2年)-1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された。

修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかの-)、下御茶屋(しもの-)

と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。各御茶屋の間には田

畑が広がり、細い松並木道が各御茶屋を結んでいる。上御茶屋と下御茶屋は、後水尾上皇

(第108代天皇)の指示により、1655年(明暦元年)から1659年(万治2年)にかけて江戸幕府が

造営した離宮である。後水尾上皇は女中に変装して輿に乗り、造営中の離宮を自ら訪れて造

営の指図をしたというが、真偽のほどは定かでない。

上・下御茶屋は1884年(明治17年)、宮内省の所管となった。一方、中御茶屋は、同じ頃後水

尾上皇の皇女の御所として造営されたもので、1885年(明治18年)に修学院離宮に編入され

た。修学院離宮は、第二次大戦後は、京都御所、桂離宮などと同様、「皇室用財産」(所有

者は国)と位置づけられて、宮内庁が管理している。見学には、事前に宮内庁京都事務所に

申し込んで許可を得る必要がある。

(上記修学院離宮説明文より抜粋)



ご存知のように、比叡山をバックに広大な敷地を有した歴代天皇の別荘です。

私は此処の近くに生まれ育ちました。

幼い頃には、訳もわからずに、離宮に侵入したり (これは、ご法度です・・・)

宮内庁管轄地で凧揚げをしたり (電線が無いから最高なんです・・・でも、ご法度です)

雪降りの時にゃ、畑で かまくら作って雪合戦 (これも立ち入り禁止で、ご法度です)

まあ、無断で色々やってきましたが、地元に育つ少年少女にとっては

とっても開放的な広場でありまして・・・(笑)



そして、離宮の敷地内にある林丘寺(尼寺)ではその昔、書道教室が開催されていて

地元の人たちは、毎週日曜日に通っていましたね。

私も同じく幼少期より林丘寺の尼さんに教えを受けて、中学生くらいまで通っていました。

そのお陰で現在でも、お客様にお出しするお献立を書いたり、お手紙や年賀状などなど

筆を使う機会をいただいております。


話はそれましたが、修学院離宮の総門が改装されるようです。








随分と老朽化も進み、いたるところが朽ちてきていました。

竹や木材など、天然素材を材料としているために、永久使用は無理がありますね。






実は、現在の総門は私の親父が手がけたもので

昭和62年10月~翌年3月にかけて施工しました。






出来上がり当時は素晴らしい色彩を放っていますね・・・

親父にとっても、自分が生まれ育った土地に、記念すべき作品を造り

さぞかし嬉しかったことでしょう・・・。

でも、形あるものは、いつしか朽ち果て、新しいものに形を代え次代へと受け継がれる。

これは、避けて通れないというもの・・・


私もちょっぴり寂しい気になっていますが

また、新しい総門になり、訪れる人たちの感動につながればいいな・・と、思っています。






在りし日の、親父と新設された修学院離宮総門。


親父も現在の総門も、お疲れ様でした。

ゆっくり眠ってください。



野むら山荘・・・京都大原~四季を味わう
  


Posted by 関守石 at 22:56Comments(0)etc